
太宰治さんの名言について紹介するよ!!
多くの読者を魅了し、未だに熱狂的なファンの耐えない日本文学界の異才がいます。
それが太宰治さんです。
「走れメロス」や「人間失格」など、学校で学んだ人も多いのではないでしょうか?
それだけ多くの名作を遺された太宰治さんですが、私生活は映画でも取り上げられるほど凄まじいものがありました。
今回はそんな文才の名言をご紹介したいと思います。
38年間の人生の中でどのような名言を遺されたのか。
ぜひ、お楽しみください。
太宰治さん ってどんな人??
まずは太宰治さん自身がどのような人物だったのか、簡単にプロフィールをまとめてみます。
- 本名:津島修治
- 生年月日:1909年6月19日
- 没年月日:1948年6月13日(38歳)
- 出身地:青森県北津軽郡金木村(現:五所川原市金木町)
- 肩書:小説家
- 異名:無頼派の作家、破滅型作家
- 代表作:『人間失格』、『走れメロス』、『斜陽』
- 生涯:1909年(明治42年)青森県の大地主の家に津島修治として生まれる。東京帝国大学仏文科に進学するも学業には熱心でなく、左翼活動や自殺未遂、薬物中毒など波乱の青年期を送る。戦前から戦後にかけて精力的に執筆活動を行い、『斜陽』などで流行作家となるが、1948年(昭和23年)、38歳で愛人と共に玉川上水で入水自殺を遂げた。
太宰治さん の名言集
38年という短い人生でしたが、濃度の濃い人生を送られた太宰治さん。
人々を魅了する作家であった彼はどのような名言を遺したのか。
いくつかご紹介します!
人間は恋と革命のために生まれて来たのだ
人は本当に愛していれば、かえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものでございます。
毎日毎日が奇跡である。いや、生活の全部が奇跡だ
自愛。人間これを忘れてはいかん。結局、たよるものはこの気持ちひとつだ
愛することはいのちがけだよ。甘いとは思わない
それだから走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ
ぽかんと花を眺めながら、人間も本当によいところがあると思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。
幸福は一夜遅れて来る
人間三百六十五日、何の心配も無い日が一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です
人間なんてそんなにたくさん、あれもこれもできるものじゃないのだ
僕はもう逃げません。僕はあなたを愛しています。毎日、毎日、歌をつくってお送りします
愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。
本当に愛しているならば、無意識に愛の言葉も出るものだ。どもりながらでもよい。たった一言でもよい。せっぱつまった言葉が出るものだ
だまされる人よりもだます人のほうが数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね
恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う
笑われて、笑われて、つよくなる
名言からわかる太宰治さんの人物像は?
太宰治さんの名言はいかがだったでしょうか?
恋愛に関する名言が多数でしたね。
女性関係でも様々な出来事があった太宰治さん。
そんな彼だからこそ、恋愛に関する名言が多かったのかもしれません。
彼の名言には「人間とは何か」「愛とは何か」という切実な問いがあるように感じます。
これらの名言からもわかるように、太宰治さんは「弱さと優しさを抱えたまま、それでも懸命に生きようとする人」であったことが伺えます。
彼にとって、恋愛は生ぬるいものではなく、命を賭ける覚悟そのものだったのではないでしょうか。
生きることは闘いであり、愛することは命を懸ける行為だったのだと思います。
まとめ
今回は日本文学界の異才である太宰治さんの名言をご紹介させていただきました。
絶望の中でも、常に美しさを見つけようとした太宰治さん。
そんな想いが名言からも伝わったのではないでしょうか。
このように太宰治さんは、弱さを隠さなかった作家で、言葉が生々しく、美しい表現に優れていたのがわかりました。
不器用で、弱くて、それでも誰かを愛したい――そんな等身大の人間でした。
この純粋さがあったからこそ、熱狂的なファンが未だに多いのですね。
名作を数多く遺されていますので、ご興味があればそちらも読んでみてください。
あなたもファンになること間違いなしです。

